■みかんの話

ミカンの歴史
 ミカン類の原産地は約3000万年前のインド、タイ、ミャンマー(ビルマ)あたりとされています。しかし最初に栽培を始めたのは、やはり中国のようで、紀元前2世紀の文献にその記述が残っています。

 カンキツ品種の概念もやはり中国が最初で、なんと約4000年前の栽培史(橘誌)には、カンキツ品種を柑、橘、橙に分け、柑18品種、橘14品種、橙5品種とし、その特性までもが詳細に書かれているそうです。

 
 日本でもミカン類の歴史は古く、「日本書紀」や「魏志倭人伝」にも日本のそもそもの果物として橘(たちばな)が登場しています。


 温州みかんは……

 「温州みかん」のルーツについては、鹿児島県の長島東町が原産地とされています。中国の研究者が「温州みかんは、15世紀の初め、日本から中国の天台山に留学した僧侶が帰国の途中に中国の温州(現在の浙江省温州府)を通って、温州みかんに似た果実を買って帰り、天草の長島の寺で種を播いた」という意見を出していますが、それはちょっと怪しいようです。温州府には温州みかんの類似品は全く存在していなかったそうなのです。

 長島東町には約300年以上前の温州みかんの古木が見つかっていますが、300年前に発見されて、九州の一部で栽培されていたにもかかわらず、温州みかんが現在のように全国的に栽培されるようになったのは明治以降になってからです。

これには理由が2つあります。

 一つは、当時の島津藩が鎖国状態にあったこと。
 もう一つは、温州みかんが「種なし」であったことから、縁起が悪いと敬遠された。
 ……どうも後者の方が説得力がありますね。

 話は少し外れますが、ミカンの仲間で「ダイダイ」と果物があります。お正月の飾りに使われる果物ですが、この「ダイダイ」はもともとは「代々」で非常におめでたいとされています。ではなぜ「代々」かというと、この果物はとても落果し難く、収穫しないでおくといつまでも(翌年も翌々年も)木になっていて、同じ木の上に三世代の果実がつくために、親から子へ、子から孫へと代々の相続を連想させるそうです。
 また、木の上で年を重ねた果実は、落ちないどころか実の色がまた青味がかってくるので、そのことが若返りを連想させ、中国では「回青橙(青年に回り返るという意味)」と名づけられているのです。そういった果物がもてはやされるわけですから「種なし」が敬遠されるのもわかる気がします。 

中生品種
南柑20号

 愛媛県宇和島市の今城辰男さんの園地が「南柑○号」の原産とされています。村松春太郎さんが宇和柑橘同業組合に在職中に、管内の優秀な温州ミカンを選抜して1ヵ所に集めて母樹園にしましたが、そのうちの1つです。村松さんは1929年にできた南予柑橘分場の分場長を務めましたが、そこで選抜された系統に分場の名をとって「南柑」と名を付けました。南柑20号は昭和初期より愛媛県内でぼちぼち作られていましたが、戦後面積が急激に伸びてきました。果実は大きくて扁平、皮の色が濃くて、果肉は緻密で酸が少なく糖度が高いので、特に甘いという特徴があります。愛媛県では年末贈答用として力を入れています。

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