みかんの話

■みかんのルーツ■
  みかん(柑橘類)の世界の原生地は、インド東部のヒマラヤ山麓からアッサムにかけての地域と、中国の四川省以  東の揚子江流域以南と浙江省から広東省に至る沿岸地域が原生地とされています。
 
  前者のインド東部を中心とする地域ではインド野生みかん、シトロン、ライム、レモン、ブンタン、ダイダイ、オ  レンジ、ポンカン等の原生種が見られます。


  後者の中国地域では、ユズ、みかん類、きんかん、カラタチなどの原生種が確認されています。

  この二つの地域即ち、インド東部と中国地域が世界のカンキツの原生種を網羅しているのでカンキツの原生地とさ  れています。

  柑橘類の原生地はインド、ビルマ、インドシナ半島、中国、日本まで広域にわたるが、中国では紀元前1000年  前後、周の国の「詩経」に「柚(ユズ)」の記述があり、また紀元前1世紀の「史記」の中に「棗(ナツメ)」が  産業として栽培されていたとある。

  日本古来の原生果樹は「橘」と沖縄に原生する「シイクワシヤー」であると確認されている。このことは、西暦2  97年、中国晋の人、陳寿が書いた「魏志倭人伝」に日本では「はじかみ (ショウガ)、橘、胡麻、茗荷が自生  しているのにその滋味を知らず」つまり、食に用いることを知らないと記されている。

■温州みかんの由来■
  「温州みかん」は鹿児島県出水郡長島(現東町)が原産地である。中国浙江省や黄岩県から伝来していた「早桔」  か「慢桔」または「天台山桔」類のミカンが長島で『偶発実生』したもので、時期は《江戸初期》のころ発現した  ものであろう(田中長三郎博士の研究による)

  最近になって、農林水産省果樹試験場カンキツ部でのDNA鑑定では、インドシナ原産で、室町時代に、南中国から  沖縄を経てわが国に伝来し、紀州みかんや柑子とともに江戸時代までの日本の主流品種であった「クネンボ(九年  母)」に遺伝子が似ているという研究がある。

 

■温州みかんの名前の由来■ 
  「温州みかん」の名は文献では、天保年間(1830年から1843年)にかけて完成した「紀伊続風土記」巻之  九十五物産第三の項に「温州橘」が有田で栽培されていたことの記述がある。これは「温州蜜柑」のことであろう  。


  名付けた当時の人たちは、自分たちのミカンの多くは、中国浙江省の温州地方から入ってきている。
  ミカンの産地で名高い「温州」の名前が冠せられたのではなかろうか。

  だから紛らわしいが、温州みかんは必ずしも「原産地」を意味するものではないと言える。

■温州みかんの拡がり■
  温州みかんは、「種無し」のため不吉として珍重されなかったので、商業的栽培にはいたらなかった。しかし、発  祥地鹿児島県での温州みかんの本格的栽培が明治28年から、また他県でも同時期ぐらいから栽培が本格的に始ま  ったのである。

■宇和島市吉田町とみかんの歴史■
  愛媛県の中でも、“みかんと言えば吉田町”のイメージが定着していますが、なぜ宇和島市吉田町が「みか  んの町」として発展したのでしょう。吉田町でみかん栽培のはじまりを探りました。

  「愛媛みかん発祥の地」として吉田町のみかん栽培には200年以上の歴史があります。
  1793年に加賀山平次郎氏が、土佐から温州みかんの苗木を持ち帰り、庭に植えたことがはじまりであると  記されています。(書籍『立間村柑橘/立間村農会/1913年発行』による)

  みかん栽培が盛んになったのは明治時代。
  吉田町は、年間を通して温暖で、収穫の秋に雨が少なく安定した気候。
  山並みが複雑に入りくみ、そのまま海に落ち込む急傾斜地帯であるため、水はけが良く日当たりが良い。
  土地が海底から隆起してできたためにミネラル成分が多い。この3つの自然条件がうまく重なり、美味し  いみかんを作ることができたのです。

  以降、吉田町のみかん栽培は、美味しいみかんを育てる自然環境のもと、運送手段の進歩と熱心な生産者  の増加により、1915年(大正4年)には収穫量が愛媛県全体で、全国の半分近くを占めるまでになりまし  た。